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「ママ怒らないで」はやっぱり無理ゲーか

「ママ、怒らないで」という本を読んだのですが、ママが怒らないで過ごすことはかなり難易度が高いので、「怒ってもいい」と「怒っちゃいけない」を線引きしたらいいのでは、と思いました。

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「ママ、怒らないで」とは

まず、簡単に本の紹介です。

「ママ、怒らないで。不機嫌なしつけの連鎖が及ぼす病」

ざっくり概要を話すと、沖縄でクリニックを開業されている方の子育てエッセーのようなものなのですが、親の内面にある認知の歪みに着目していることがポイント。

言い換えると、ベースが「自分の受けたしつけ」に難があったり、幼少期の歪んだ体験を自分の子育てで再現しちゃってるんじゃないのか、みたいな話。つまり、当てはまる人もいれば、全くかすらない方もいると思う。

ただ、この表題で「どきり」としてしまう方には、思い当たる節が多いというところと、そもそもの子育てについて特に日本では「参考になるような体験」をせずに親が子育てを開始しているケースは多いので、自分に当てはまらなくても何かしらの育児に関わる仕事をしていたら読んでおきたい。

読むに至った経緯

最近、子供に対して怒ってばっかりだな、と思って「怒る・叱る」についての記事をひたすら書き続けています。描いてみて思いましたが、世の中の誰かを基準にすると子供を叱る必要性が増えるのですが、誰かの迷惑とかを深く考えなければ本当に叱ることが必要な場面というのはそれほど多くないということに気付かされます。

その辺りの経緯をまとめた記事はこちらになります。

似たテイストの育児おすすめの本

編集中。

我々は何に怒るべきなのか

子供を怒る対象としないために、まずは「怒る」ということについて考えてみたいと思います。

怒るってなんだ?

まず、こんなこと言うのも何ですが、親が子供の躾や教育のことで悩んでいる段階で、ある意味すでに及第点は超えていると思います。言い換えると、子供のことを真剣に考えて、少しでも情報を集めようとこのサイトまでたどり着いている方は、私から言えるようなことは何もないのではないか、と言う気はします。

らいおん
らいおん

問題になるのは、どちらかといえば、「自分のやっていることは正しい」と根拠もなく確信している方だったり、「こう言うやり方しかないんだから仕方がない」と問題を直視せずに解決策を講じない方。

一応、一般的な「怒る」について考えることは以下の通り。流し読みで大丈夫です。

怒ると叱るの違い

まず、一般的に「怒る」と「叱る」の違いについて解説するのがテンプレートなのですが、ぶっちゃけた話、怒ろうが叱ろうが、親が勝手に定義づけているだけで、大事なのは子供の捉え方だったりします。

親が「これは躾だから」と言って怒鳴りつけている様子も何度か見ていますが、親が「怒る」じゃなくて「叱っている」つもりでも、子供の受け止め方が「恐怖」であったり「不安」であったりすれば、やはりそれは「怒っている」と同義であります。

ちなみに、怒ると叱るの違いは、「怒る」は親の感情問題で、「叱る」は相手への助言的な意味合いが強くなります。叱る際には、別に大きな声で相手を威圧する必要はありません。さらに言えば、叱ることは怒ることの免罪符にもなりません。

怒らないことは無理

まず、世の中には「怒らない人」と言うのはいます。

正確に言えば「怒り」を外に出さない人、表現しない人です。怒っているというのは、感情の表出型みたいなもので、何か不快なこと・ストレッサーがあったときに、感情の興奮が表情や言動として現れて、「怒り」として自他が認知するということになります。

らいおん
らいおん

怒らないということは一見正しいことのようですが、これは感情表現が下手くそなだけで、本人は疲れるし、相手は何考えているかわからないし、いいことばかりでもありません。

ぶっさん
ぶっさん

あるいは、本当に怒りを感じないのであれば、神経の情動系の働きがバグっているので、どちらかといえば障害に近いと考えた方がいいです。

子育てにストレスを感じないわけがない

今回は子育ての話をしていますが、少なくとも自分の子供であっても、誰かが誰かと一緒に過ごすのであれば、ストレスがないと言う状況はあり得ませんし、ストレスなく生活しているなら、おそらく子供ふくめ同居人は相当我慢しています。家庭前提で見れば健全な状態とは言えません。

特に、親は子供の成長のために「正しいことを教える」と言う責務があり、かつ子供は社会的にも身体的にも心理的にも未成熟です。怒らない方が無理なのです。

適切に怒れるかがポイント

つまり、怒らないようにすると言うよりは、「怒り方」がポイントになってくると言うことです。これは結局「叱り方」にも繋がることではありますが、適切に怒ることをまず考えていきます。

親が子供に怒ること

まず、私のここ数日で「怒りのバロメーター」が沸騰したことを思い返してみます。

著者個人の沸点ポイントを探る

  • 子供がうんこ漏らす
  • 子供がうんこ漏らしても「うんこ出てない」と嘘をつく
  • 子供にうんこ出ていることを指摘するも「出てない」と逃げ出す
  • うんこ撒き散らす
  • うんこ清掃中に、「これ、消毒しないとダメなんだよ」と言われる
  • うんこは漏らさずに教えてくれ、と伝えるも、4時間後にリバイバル公演

まぁ、うんこの話ですわ。少しネタみたいになってしまったので、うんこ以外の事例を簡単に挙げていきます。

一般的な育児におけるストレスポイント

  • 保育園に行く直前に「いきたくない」と駄々をこねる
  • ご飯のリクエストを聞き「ハンバーグ」と言って作ったら「嫌だ」と突き返される
  • 階段で遊ばないと伝えた後に、階段で踊り出す
  • 自分でやりたいと言って奪った歯ブラシを床に落とす
  • 着替えをするように伝えても遊び続ける
  • テレビを約束の時間に消すと狂ったように泣く
  • ひらがな覚えられない
  • すぐに手が出る、足が出る、場合によっては噛まれる
  • 葬式で突然うんこの歌を歌い出す

具体的な事例レベルで挙げると上記のようなことが多いと思います。各家庭、多少の傾向に違いはあれど、似たようなものかと。

では、少しこのあたりを紐解いていきます。

どうして私たちは怒るのか

怒りは、脳・神経系が興奮して情動系の神経回路が働いておきな情動反応です。基本的には刺激となる原因・発生源があります。

「不快」と感じる刺激があって、怒りという感情が導かれているわけですが(諸説あります)子育ての例で言えば、「子供の言動」が、親の怒りを導いているということになります。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhas/5/1/5_1_8/_pdf

私はなぜ怒ったのかを考える

うんこの事例で言えば、怒る理由はさまざまです。

  • 排泄物・不潔物に対する不快感情
  • 子供に嘘をつかれたこと
  • 子供が逃げ出して被害が広がったこと
  • なぜ自分がやらなければいけないのか、という気持ち
  • 失態後も悪びれない様子
  • 失敗を繰り返す愚かさ

一番、本能的に怒る要因は「排泄物」への不快感。子供の言動が引き金となって怒る場合は、ほとんどが自身の体験からの理由づけによるものです。

ぶっさん
ぶっさん

このように、瞬発的に怒りにつながる「不快刺激」と、その後の怒りを増幅させる「ブースター」のようなものが合わさって怒りは構成されています。

ただの不快刺激だけなら、別に子供に対して怒ることはないのですが、親の頭の中で瞬時に「子供を対象にした怒り」が作られていく工程は考えられます。

例えば、育児にあまり参加しない「父親」がいると仮定して、この父親の場合は「うんこ処理への面倒さ」などに怒りは感じるかもしれませんが、意外と寛容に「仕方がないよ」などと振る舞うことはできる場合があります。

ぶっさん
ぶっさん

怒りにつながる経験の蓄積があまりないから、「子供ってこういうものなのかな」と素直に事実だけを受け取ることができる状態と言えます。

一方で、普段世話をしている母親からすると、「また同じ失敗をしている」など、ブースター効果が父親に対して強く働くため、より感情的に怒ってしまう可能性があります。

ぶっさん
ぶっさん

子供も悪気はないのですが、一緒にいる時間が長いほど「わざとやっているんじゃないか」という気がしてくるものです。子供も、「いつも通り失敗してもいいんだな」と気が緩んでいる場合もありますが。

親の心理状況も考える

先程の事例では、「親」と「子供」の関係性だけに着目して分析しましたが、親が怒る遠因には、心理的に余裕がないことも考えられます。

  • 仕事での失敗
  • 子供の成長に対するプレッシャー
  • 夫婦関係
  • 睡眠不足・身体的不調
  • 加齢・老化
  • 将来への漠然とした不安

さらに、私自身が発達障害であるように、親にも元々のキャパシティみたいなものがあって、処理能力にも限界があります。ストレス耐性も個人差があり、ストレッサーから受け取る不快指数も人それぞれ。対処能力が低いと、他の人がストレスに感じないことでもストレスに感じたりします。

らいおん
らいおん

普段我慢できることでも、メンタルが落ち込んでいる時は耐えられなかったりしますしね。

また、参考書内のように「自身(親)と親(祖父母)との関係」などが背景にあって、子育てへの心理的な障壁となっている可能性もあります。

「怒り」に対して対処する

一丁前なことを書いていますが、大体、人が怒るときはこんなに冷静に分析できません。優秀な怒らない人の場合だと、アンガーマネジメントで怒りを適度にやり過ごしてから、「叱る」ことができるのですが、今回はアンガーマネジメントのテクニカルスキルについては省略します。

ぶっさん
ぶっさん

私は患者にも怒る精神科看護師でしたが、「怒らない看護師」になるためにやったことを含めて簡単に説明していきます。

不快刺激と「怒り経験値ブースター」を切り離す

怒るにもさまざまな要因が関係している、ということをお話ししましたが、実際に怒る場面を想像すると、怒りに対する反応速度と対応は様々です。

例えば、悪口を言われるにしても、全く知らない人から突然言われると「面を食らって唖然とするだけ」なのに対して、日頃から不満が溜まっている夫に「料理がまずい」と指摘されるのとでは怒りの反応も対応も異なってきます。

この辺り、個人の特性・生活歴に寄るところも大きく、刺激に対して「すぐに怒りを表現する・できる」人もいれば、刺激への反応は遅いが、刺激への分析が深まるにつれて徐々に怒りを膨らませるタイプの人もいると思います。当然、人で分けるだけではなく、状況によって異なるケースもあると思います。

まず、突発的に表現されてしまった怒りに関しては、本能的な要因が多いので対策は「事後処理」としての対応の仕方になります。一方で、徐々に膨らませる類の「怒り」に対しては、アンガーマネジメントなどで思考の工夫をすることで和らげることはできます。

自分の怒りバロメーターを知る

例えば、私個人の話をしますと、他の人の行動に関しては割と寛容なのですが、一つだけ我慢できないことがあって、「嘲笑」に対して異様に反応するようです。

ぶっさん
ぶっさん

昔から、私が失敗してた後に笑い声が聞こえると、とにかく我慢できずに笑った人に対して飛びかかる習性がありました。

これは、すでに自分が失敗したという心理的にパンクしている状態で、笑われたら嫌だなと内心思っているところからストレスへの過敏状態となっています。ここで、「笑い声」がさらに刺激となると、怒りが限界を超えて暴力などの行動かに振り切れてしまうと考えられます。

実際、笑っていたのは私の失敗とは無関係な場合も多く、つまり自意識過剰なだけだったのですが、失敗に対しての羞恥心の耐性がとにかく自分の中ではネックで、しかも不適切な処理方法を瞬時に行動化する悪い回路が出来上がっていました。これはまずい。

とにかく、まずは、自分の「怒りパターン」を知ることが大事です。人によって怒りやすいポイントは様々。怒りの対象は「人」なのか「事」なのか「場面」なのか、どこに怒りやすくて、どんな時に怒りが溜まりやすいのか、まずは自分の傾向を知ることが大切です。

ぶっさん
ぶっさん

精神科看護的に言えば、自分が苦手意識のある患者と接するときは、特に慎重に対応するようにします。

今回は育児に限定した話なので、対象は「自分の子供」で「育児」に関することだとは思いますが、怒っている対象が本当に「子供」なのか、自分のストレスが原因なのか、子供がストレスの捌け口になっていないかなどは慎重に考えたいところだと思います。

子供は「怒りやすい対象」でもあるから、ストレスが溜まっている時はある種都合よく「怒ってしまう」場面はなくはないですよね。もちろん、「よし、怒れるぞ」という気持ちではないと思いますが、「今、怒らせないでくれよ」と親が念じている時は、不思議なことに子供は親の気持ちを感じ取って「あえて怒らせるようなことをする」場合すらあるのです。

予測できる怒りへの対応

社会経験を積むにつれて、流石に暴力を振るったりはなくなったのと、失敗体験が増えてある種「自分は笑われても仕方がない存在」という自己肯定感の喪失があったため、今では笑われても「不快には感じるけど、一緒に笑っておけば大体乗り越えられる」という対策でことなきを得ています。

育児の場面では、親は自然と子供の行動をある程度予測します。「これ、しないでほしいな」という時は、大体、子供はその通りに行動します。トイレットペーパーがあれば階段から転がしますし、補助便座は被りますし、全裸でふざけたら勢いでおしっこ漏らしたりします。

頭で想起されたことを子供がやると、怒りとしてはより強く表現される傾向にあります。子供の行動を「自分を怒らせるために意図的にやられたもの」だと解釈したり、未然に防げたことができなかった腹立たしさもあります。つまり、不快刺激を「怒り」に変える時間が豊富にあるためです。

ぶっさん
ぶっさん

ただ、この辺りは同時に「自分が怒りそうだな」と認知する時間もあるわけです。予測できる怒りに対しては、「自分が怒る」ことも想定して対策を練ります。

怒りが我慢できないシチュエーションを分析する

例えば、我が妻は、子供の「トイレでの遊び」が我慢ならないそうです。これは、トイレでの不潔恐怖などの根本的な不快刺激が妻には強く、かつ、何度も子供に同様のいたずらを繰り返されてきたので経験が怒りをブーストしやすい状況にあります。

ぶっさん
ぶっさん

我が妻の場合は「そもそも、子供が遊ぶようなものはなるべくトイレの手の届くところに置かなければいいのでは?」と提案しても、そんなのできないと逆ギレするレベルなのでアンガーマネジメントを伝えたところで実践はしないのですが。

あくまでケース事例として考えるなら、トイレの環境整備は置いておくとしても、「トイレで子供に怒りやすい」という傾向を把握できたのなら、対策は立てやすいと思います。

怒りやすいところからは物理的に距離を取る

一番は、トイレの対応を夫など他の協力者に任せること。つまり、予測される不快刺激から意図的に離れること。

子供ではなく環境に対策を仕込む

環境面での対策は、子供がトイレを触っても大丈夫なように徹底的に綺麗にしておくこと。

ネガティブな思考を積極的にポジティブに変換する

ただ、これらは多分できないと思うので、自身の思考を少しいじります。

  • 相手の行動が予想できたらポジティブに捉える「よし、私は子供を理解している」
  • 相手の行動に先手を打つ「〇〇に触りたくなるところだけど、触らないならすごい」
  • 相手の行動を誘導する「今は〇〇できそうだけど、その次は何したらいい?」
  • 不快刺激に暗示をかける「こどものおしっこは聖水、うんちはレガシー、私の涙は努力の証」
  • 叱る・注意する言葉は決めておく、それ以上は怒らない「汚いのは触らない」
  • こどもの言動と自身の怒りブースターを切り離す「相手は私を挑発しているわけではない、むしろ私のことが大好きで喜ばせようとしている」
  • 相手を冷静に分析する「一般的な3歳児はトイレで遊ぶもの。トイレにこれただけ褒めてもいいのでは?」
  • 短く怒ったら、怒り刺激から緊急避難「トイレに怒り因子蔓延警報、直ちに避難」

基本は、ネガティブなものをポジティブに変えること。

どんな結果であれ、自分も相手も褒めること。あまりにも怒りそうになった、怒りすぎてしまったらお互いに冷静になるまで少し距離を取る、怒った場所を見てると怒りが増幅するので離れる。

なぜ、怒らなければいけないのか

具体例を掘り下げ過ぎてしまいましたが、怒らなければいけないことは、多いようで実は少ないと言う話をします。

一般的に怒らなければいけないこと

先程までは「感情」の怒るについての話だったのですが、子供への注意・叱ることに近い話題です。つまり、こどものために伝えなければいけないことはなんなのか、と言う話。

怒らなければいけないことは、上記3点だけです。もっと平たく言えば、「危ないこと」と「悪いこと」です。悪いことは幅が広く、しかもそれぞれの価値観によるところも大きく、子供に伝えるときには慎重に対応したいところです。

本当は親が子供に怒る必要がないこと。マナーやルールについてどう教える?
子供へのマナーやルールを説明することについてまとめた子育て備忘録です。親はやたらめったらと怒りがちですが、実は怒る必要がないマナーやルールの指導方法について考えています。
危ないことって、何?

子供にとって危ないことは、別記事に移動しています。

みんなは何を基準に子供を叱るの?怒っていい時悪い時
子供を叱る時に注意することなどをまとめています。

2~3歳児の「言葉」は要注意

問題は、2~3歳ですが、この頃は言葉は理解するが、注意内容までは理解しておらず、親が怒っていること・不機嫌であることは理解(というより察知)しているという微妙な頃合いです。

ぶっさん
ぶっさん

親の機嫌の悪さをストレスには感じるけど、解決策はわからない、といった状態なので、怒られることの不快感は想像よりも強い。

発語できることと、理解していることは全く別物

親は注意する際には、「子供がどこまで注意を理解しているか」をアセスメントする必要があります。

一緒に生活していると「言葉の理解度」「注意・関心の対象」などは把握できている場合が多いのですが、注意の際には「相手が理解してくれるはず」と過信しているケースが多く、さらに相手(子供)の心理状況までは親(自身が怒っていることもあって)察しきれずに、「子供はストレスだけ受けて、怒られた内容は理解していない」という事態に陥ります。

我が子も、「わかった?」と聞くと「わかった」と答えますが、これは「わかったと聞かれたらわかったと答える学習」なので、実際の理解ではありません。復唱させようとすると一言も理解していないことはわかります。復唱自体が子供をテストしている行為なので、高圧的なこともあって答えられない場合もありますが。

とにかく、2,3歳の子供の場合は、言って聞かせるはほぼ無意味ですし、どちらかといえばストレスが溜まって親の「注意行為」自体を嫌がるようになります。言葉の理解は親にとっては喜ばしいことなのですが、話している言葉を理解しているとは考えず、子供の思考回路をしっかりと考えていくことが重要です。

ダメと言いすぎると「ダメ」への耐性ができる悪循環

我が子は、母親・祖母が1〜2歳の間に「ダメ!」と曖昧な注意を繰り返してしまったことで、親の注意を聞かない子供になってしまいました。(母親自身が、自分への注意に対する耐性がないので、注意の基準を決めるなどの話し合いはできない)

私は、一応母親が怒る基準で先んじて注意するようにはしているのですが、母親の基準は非常に曖昧で、注意するかどうか・注意の仕方は、「注意する行動」よりも「その時の感情」に左右される傾向にあります。

らいおん
らいおん

いわゆる、虫の居所でいつも注意されないことでも注意されるし、自分が面倒な時は注意しないし。これを2〜3歳児に察しろという方が無理なのでは?

ぶっさん
ぶっさん

怒る態度も、最初は笑いながら「だめだよー」と言いながら、どうにも収拾がつかなくなって甲高い声で「ダメー!」と叫ぶわけです。

子供にとっては、「どこまでが遊びのダメ」で、いつから本当に怒られているのかがわからないわけです。注意方法も、口頭での注意しかないので、イメージとして残りづらい。しかも、本当に危険なものを触っている時との違いもわからないので、母親・祖母の注意は危険を助長する可能性すらあるわけで。

ぶっさん
ぶっさん

結果として同じことを繰り返すし、母親は不機嫌、祖母はどうしていいかわからず、見かねて祖父が怒り出す、という地獄絵図。(もう預けなきゃいいのに)

ただ、虫の居所次第で怒り方が変わるのは誰にでもあることなので、しっかりと基準と「注意の仕方」は決めておくに越したことはないですね。

危険度は発達段階で変化する

ちなみに、注意する基準となる命の危険度の話に戻りますが、2~3歳で多い事故は「転倒・転落」が圧倒的に多いのですが、治療を必要としたり、指の切断、火傷の跡が残る、麻痺が残るなどの後遺症のあるものもあります。これらの事故につながるリスクは基本的に遠ざけるのが一番です。

日常生活事故による救急搬送人員数の事故種別割合ころぶ落ちるぶつかるものがつまる等切る・刺さるはさむ・はさまれるやけどかまれる・刺されるおぼれるその他不明
0歳(8,349人)11.231.25.326.11.41.88.20.50.711.62.1
1歳(12,189人)25.325.88.013.73.74.97.70.50.57.72.0
2歳(9,943人)30.427.111.48.82.84.33.20.40.39.41.9
3歳(7,518人)34.324.512.68.12.55.02.40.50.28.21.7
4―6歳(13,232人)35.721.916.25.33.05.52.20.80.18.11.1
7―14歳(24,005人)33.515.124.01.63.82.61.51.30.115.60.7

注意の基準としては、やはり階段やキッチンなどで遊ぶことのないように、柵など用意した上で本人には近づくことも危ないとシンプルに伝えます。

子供がリスクを理解できるようになったら

しかし、階段は自分で登り降りする必要があるし、刃物や火も成長のためには使えるようになったほうがいいに越したことはありません。前述のように、子供の「わかった」はあまり期待できませんが、こどもがリスクに対して理解が深まり、かつ、親が見守る中でなどの条件付きであることもわかってくれるのであれば、積極的に体験できた方が将来的なリスクを下げられると思います。

刃物は危ないことがわかった方が、悪戯に使わないなどの予防策になる可能性があります。また、親が一緒に指導しながら使えば、そうそう切断事故になるような怪我にはなりませんし、最悪、切断しても親が対応方法を知っていれば最悪の事態は免れます。小さな傷などは、むしろ刃物の危険性を理解する上では必要な経験とも言えますし、あまり怖がり過ぎて何もさせないよう抑圧することも考えものです。

子供にトライさせる際のポイント

  • 何が危ないかを説明できる
  • リスクによる怪我の度合い
  • 親の、怪我への対応力
  • 親はどれくらい子供に注意してみていられるか

怒る前に見直しておきたいこと

ついつい怒りがちなことを「当たり前」だったり「仕方がない」と思っている部分があるのであれば、価値観を少し更新するだけで、子供を怒ることから解放される場合もあります。

慣習に従った「叱るタイミング」を見直すべき

日本の育児は、歪んだ価値観を踏襲して作り上げられてきた背景があって、親が疑いなく自分の親から受け継いだ価値観で子育てをして、その子供も自身の経験のみで子育てをしていく。周囲も概ね似たような環境なので、お互いの「歪んだ育児」を確認しあって「みんな一緒だから正しい」と錯覚する。

日本特有の価値観で言えば、家制度で「年長者が圧倒的に優位」で、「男女完全分業」であることだと思います。この場合の年長者は「祖父母」に置き換えると分かりやすく、実際の親よりも主導権を持っている、あるいは育児に長けていると錯覚した祖父母が見当違いの助言によって育児を掻き乱すこともあります。(実際、自分たちは正しいと確信しているので)この辺りは舅姑問題でメディアなどで取り上げられていますが、分かりやすいアクションだけが問題ではなく、「価値観の押し付け」に関しても問題意識をもう少し強く持ってもいいのかもしれません。

親の「正しい躾」が間違いである可能性について、価値観を育む
怒る際に基準となるのは、「親が正しいと思っていること」ですが、大人は大体間違って育ってきています。子供にはまっすぐ成長してもらいたいと願いながら、歪んだ価値観を教える危険性について見解を書いています。

男女での役割の違いからくる、余計な怒り

古い価値観ですが、いまだに男女での役割分担を錯誤している夫婦は多いと思います。分かりやすい例は、夫の家事・育児参加です。これは概ねどこでも語られているので資料も不要だと思いますが、夫が家事をしないのは事実。根本の教育の問題もあるので、ここでは触れませんが、古い価値観をいまだに捨てきれないのが、日本の育児風土の現状だと言えます。

男は家事をやらないのではなく、できないのに威厳を保ちたいだけという話

実は、この価値観を支えているのは女性側も一緒。育児が始まる段階で自身の負担が増えて「家事分担」の必要性に迫られてから、夫に「家事を依頼する」という形式が多いと思うのですが、もうこの時点で夫は家事を依頼されてやるものだと錯覚しています。家事をやらなくてもいいという環境は、夫婦生活が始まる前から存在しないはずなのですが、親が男の子を甘やかし、妻も結婚当初は「自分が家事をやるもの」と考えて甘やかし、必要性に迫られて突然「夫婦平等に家事をする」と手のひらを返しても、腐りきった男性の「家事・育児」に対する価値観の根底はそう簡単には覆りません。

また、実際に男性が家事・育児をするようになっても、周囲が「男女分業」の価値観を抜け出せずに同調圧力に屈する事例もあると思います。

ぶっさん
ぶっさん

病院の付き添いも、「当然母親が」という形で話を進めていく病院にしか当たりません。どちらも見ます、と伝えても、5割夫が付き添っていると「お母さんはあんまり来ない」と言われます。

らいおん
らいおん

保育園の送迎はかなり夫が増えていますが、保育園の大事な話となると「お母さん」の同席が望まれることは多いです。

ただ、母親の役割はやや特殊で、性別を超えて父親が完全に代替する、ということは難しい面はあると思います。母乳のこともありますが、それだけではなく、愛情表現などで母親ではないといけない、という場面は必ずあります。

ぶっさん
ぶっさん

一方で、父親じゃないといけないという場面はおそらくありません。努力して父親という役割を築かないと、これまでの社会と同様に「会社に追いやられる」だけのポジションになってしまいます。

女性だけの育児が生む弊害

語弊がないように申し添えておくと、父親が不要というわけではなく、育児には「多様な価値観」や「複数の目で評価する」という構造は不可欠だと思います。これまでの社会は男性が仕事、女性は家事+パートでしたが、これだと、「母親」の視点でしか育児が評価されなかったという点も、育児が歪んだまま修正されなかった原因の一つだと思います。

ぶっさん
ぶっさん

母親が一人で育児をすると「こうでなければいけない」という思い込みのままに子供を躾けます。つまり、母親が受けた躾がそのまま踏襲される可能性が圧倒的に高くなります。

実際、父親がちょろっと入ったくらいでは似たような躾を受けてきた経験しかないので大差はないのですが、それでも「これは少し違うんじゃないか」と議論のタネは生まれます。

ぶっさん
ぶっさん

せっかく議論の芽が出ても、高い確率で母親が「余計な口を出すな」と言って芽を摘むことが多いし、夫が力を持ちすぎている夫婦でも議論までは発展しないので、日本では「夫婦で子育てを議論する」という土壌がまだまだできていないのが現状ですけどね。

育児休暇などを取得して、一定期間育児に向き合って、あるいは対等に育児参加していると夫婦ともに認め合う関係性なら、育児の価値観でもしっかりと話し合いができると思います。この場合、「どちらの価値観が正しいか」だと口論に発展するばかりですが、「子供にとって、どうすべきか」という視点で話し合いができると

少なくとも、育児について話し合いができるというのは、子供にとっては予防線が一つ増えた状態だと評価できます。実質的なひとり親での育児よりも、間違いに気づける回数は増え、子供をチェックする機会は増え、多様な価値観に触れれば寛容性も生まれます。

親の注意する論点が増えて、注意される基準もまちまちで、一貫性がなくなって子供は混乱するかもしれませんが、そもそも、社会において一貫性を持った育児が展開されるなんてことはないですからね。

話が大幅に逸れましたが、とにかく自分の信じている育児の正しさには疑問を持つことが大事です。

母親が子供に怒るということ

本の中では、このような「歪んだ育児観」や、自分が受けた子育てに対する不満など、自身の内面の負の感情が発端となって「余計に怒ってしまう」という構造があることが指摘されています。

祖父母世代の育児を踏襲しないために

実際、我々は育児経験がないまま育児をスタートさせるので、育児のベースはやはり自分の受けた躾であったり教育になります。

多様な価値観に触れていると、自分の価値観に対して疑問を持ったりするのですが、日本はとりわけ多様性よりも「一般」や「常識」を重んじる価値観があります。

日本の目指す価値観は、「何も言わなくてもわかってもらえるし、みんな同じ基準で同じように暮らしていることが美学」なので、言わぬが花、言わなきゃわからないのは無粋、この枠からはみ出すと生きづらく、みんなが我慢するのがいいよね、という価値観です。

親世代が育った社会は「幸福だったのか」を考える
親というのは、20〜40代の我々世代でもあり、さらに我々の親である50〜70代の世代について。私を含めて、これからの時代を作っていく子供たちに幸福になってもらうためには、我々の価値観のアップデートが必須です。

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