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親がいう「勉強」が「受験テクニックのトレーニング」という話

そもそも「子供を怒る・叱る」という記事を書いていたはずなのですが、話が脱線しすぎて「親の勉強の価値観が古い」ということになったのですが、そのさらに派生記事です。

勉強しない親が子供に学習の大切さを説くためにやるべきこと
アフィリエイト記事のようなタイトルをつけてみました。「親の価値観を押し売りするな」的な記事を書いているのですが、その中で、親が勉強しないのに子供に勉強させようとする矛盾を解説しました。ぶっさんですが現実問題、親が勉強して...
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受験テクニックは勉強ではない

子供たちには謝りたいのですが、大人が勉強と言っている大体のケースが、「受験合格のためのテクニカルな知識」の習得です。まず、ここをただします。つまり、「解答反復練習」である、我々が信じてきて実践していた「受験勉強」は、根本的に勉強ではありません。

ぶっさん
ぶっさん

旧来の価値観である社会なら、苛烈な受験戦争を勝ち抜ければ「努力ができる人・我慢強い人」であることを証明できたのが強みだったんですよね。これが会社が欲しがる「よく働く我慢強い歯車」像と一致していたから成り立っていたわけで。

ただ、日本は「超高齢社会」で将来的に慢性のマンパワー不足に陥ります。海外から人材リソースをかき集める必要性があり、リモートワークの土台が(コロナの影響もあって急激に進んだことも手伝って)出来上がりつつある今、将来的に子供たちが戦うのは日本人だけではなく、世界中の優秀な人材となります。

世界基準になると、「受験」で得た付け焼き刃の知識はほとんど役に立たないし、「頑張った証明」にもならない。雇用主としては、「やってほしいこと」を「適正価格」で引き受けてくれる人がいればそれでいいので、日本の賃金なら喜んで働いてくれる「勤勉な外国人」を「有利な契約」で雇用した方がリスクヘッジになる可能性すらあります。

将来は無意味と言われても仕方がない受験勉強

まず、受験に勝つための勉強は簡単ですが大変です。

受験勉強は効率の悪い「機械化学習」

簡単というのは、実際、受験に合格するための知識を習得するのは根気と時間の投資で大体解決できます。いわば、記憶のトレーニングなわけですけど、コンピュータでいくらでも安価に増設可能な作業であり、中学校・高校の指定教科書は、今の時代、USBメモリに収まります。

ぶっさん
ぶっさん

今、ようやく記述式の「考える」問題が試験でも出されるように調整されていますが、これを正しく評価できる人材がいないのが日本の現状です。

都心の私立幼稚園なんかの試験がどうかは田舎者には興味がないので調べもしませんが、田舎でそれなりの高校に入って、そこからそれなりの大学に入るための受験知識なら時間投資で解決します。そこに、適性能力も知能・知性も(あるに越したことはないものの)必要ありません。

らいおん
らいおん

中学・高校入試でも、社会問題などを取り上げた文章記述の問題は見られると思いますが、この辺りはAIで精度の高い予測問題が作られて容易に受験対策されるようになります。子供たちは、事前に用意した模範解答を覚える作業になると思います。

適性能力って、なんだ?

ぶっさん
ぶっさん

さて、では「とりあえず時間をかけて勉強すれば大学には入れる」わけですが、だからと言って目の前の楽しいことをやめて勉強させるのには無理があります。

まず、先程受験勉強には問われないと言った適性能力ですが、そうは言っても人によっては1時間で理解できることが、2時間かかる子供はいます。仮に、合格ラインに必要な勉強時間を100時間とすれば、これが200時間必要になる子供は当然います。

きつね
きつね

人を評価する指標が「学力だけ」である世界なら、時間がかかっても勉強した方がいい。だけど、学力以外に評価されることがあれば、得意なことを伸ばした方がいい。

適性能力が何なのかは別の機会で話しますが、例えば根本的にLD(学習障害)があってものを読むことに数倍以上の時間が必要な場合もありますし、シンプルに勉強のための知識の下地ができていないといくら知識を積み上げようとしても、根本で崩れます。

合格した後の勉強時間も倍になるということ

200時間かけて何とか受験勉強で合格しても、結局、その学校での必要勉強時間の2倍、この子は勉強に時間を費やしていく必要があります。

好きなことであればどこかでブレイクスルーするして一気に伸びることもあるかもしれませんが、前提として「勉強なんて無意味だ」という価値観の子供を例に取っているので、この子にとってこの時間の投資はかなり無駄が多いということになります。

受験知識の活用について考える

子供に「勉強って大人になったら使わないでしょ」と言われる場合、すでに親が勉強しないからこの疑問が湧くのですが、一旦置いておきます。

まず、基本的に無意味な勉強はありません。知識として頭の中に入れておけば、生活のどこかのタイミングで取り出す可能性はあります。仕事をしていても、育児の勉強をしていれば仕事で使用することもあり、趣味の知識でも、同じ趣味や会話のアクセントとして使えることはたびたびあります。

ぶっさん
ぶっさん

知識の使い道がない、というのは「活用の方法を知らない」だけで、工夫次第でいくらでも使う方法は見つかります。

きつね
きつね

そもそも、受験に使うという前提もあるので、入りたい学校があれば必要性は高い。無意味ということはないのです。

ただ、じゃあ受験の知識がどこかで役立つかと言えば、やはり対して役立たないことが多いです。テレビの教養クイズで正解率が少し上がるくらいです。

ぶっさん
ぶっさん

受験の知識だと、「一般教養」として知っていることが前提で話が進むことはあるけど、関連知識が薄くて知ってるつもりで話したらただの知ったかぶりになることもある。しかも、みんなが知っている知識だから会話のネタにもなりづらい。

たぬき
たぬき

ただ、受験合格という課題に対して、計画を立てて勉強して、目標を達成して合格できるという体験は貴重です。これだけでも勉強する価値はあります。

知識として役立つかどうかは疑問が多い内容もあるが、受験に関しては無意味ではないという意見でした。ですが、じゃあ実際のところこれからの世の中で役立つかといえばやはりそれは疑問視するべきです。

テクニックに偏るいたちごっこ

まず、受験について少し冷静に分析してみましょう。

2021年現在、すでに大学入試のあり方が変化しています。今後、記述式問題や英語の総合的な能力を図るための方式を導入することが検討されていますが、実現されるかどうかはまだわかりません。しかし、「なぜ、変化が必要なのか」という点をしっかりと考えておかないと、子供に勉強の必要性を伝えることはできません。

学力の3要素と高大接続改革

まず、文部科学省が重要視しているのが「学力の総合的な見直し」と「高校から大学への一貫した教育連携」だと思います。散々、受験偏重のお勉強を推進しておきながら、国際競争で太刀打ちできないレベルまで日本の立場が危うくなってようやく、このままじゃダメだ、と学力そのものを見直し始めています。

https://www.mext.go.jp/content/20200807-mxt_daigakuc02-000004110_1-1.pdfより引用引用引用引用
  • 知識・技能の確実な習得
  • 思考力、判断力、表現力
  • 主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度

少しあやふやな表現も混ざっていますが、言い換えると「自分の頭で考えられるようになろう」というものです。これまでは、「お前らは何も考えなくていいから、社会の歯車に相応しい従順な人材になれ」だったのに対して、だいぶ自主性を強調してきたようです。

ぶっさん
ぶっさん

高大接続は今資料を読んでいるところですが、この改革自体は有益です。

グローバル化の進展、技術革新、国内における生産年齢人口の急減などに伴い、予見の困難な時代の中で新たな価値を創造していく力を育てることが必要とされています。高大接続改革においては、高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜を通じて学力の3要素を確実に育成・評価する、三者の一体的な改革を進めることが極めて重要であるとし、これらの改革に向けての取組みを着実に進めています。

https://www.mext.go.jp/content/20200807-mxt_daigakuc02-000004110_1-1.pdf

きつね
きつね

まず、そもそもが高校での授業が「大学入試」のためのカリキュラムであり、大学入学後の自身の専門性を高めるための内容があまり考慮されたものではなかったのがそもそも何なの、という感じではあるのですが。

ぶっさん
ぶっさん

高校での学びをもっと社会で役立つものに変え、大学試験は、学力を数字だけではない様々な側面から評価できるようなものに変えていく、という趣旨であると私は理解しています。

では、実際に受験がどう変わるかというと、記述式と取り入れたり、英語では外部試験を採点対象としたりと検討されている、みたいなことはニュースで見た方も多いと思います。公平であるかどうかは少し置いておくとして、じゃあ受験が変わるのかといえば、そうではないのが現状かなと思います。

きつね
きつね

試験はあくまでも試験で、攻略方法が見つかればお金になるし、攻略法を知りたい需要は延々と続くわけです。

AIが問題を作り、AIが解く時代に

まず、試験はフェアであるべきで、さらにチャンスは平等に開放されていることが大切です。

つまり、大学入試試験は、高校3年生だけではなく、外国人や社会人、リカレント教育も視野に入れた全人類対象にしたものであることが求められます。これらの方々が平等に評価されるのが試験のフェアネスであるといえます。

ぶっさん
ぶっさん

私自身は、高校3年間の学びや、あるいは社会人であれば自身の実績なども総合的に判断して「1回の試験で全てを判断する」こと以外の評価方法があるべきだと考えていますが、そうするとフェアネスが証明しづらいので難しいところ。

ヨメちゃん
ヨメちゃん

一回試験に失敗しただけで全てが終わってしまう入試は、求められる努力に対して失敗するリスクが大きすぎるよね。ちょっとした体調不良も許されないし。

ぶっさん
ぶっさん

そういったリスクと、リスク対策を含めて、受験を「尊い体験」にしたいと意見する人はいそうだね。でも、他の方法も考えてみることはいいことだよね。

ぶっちゃけ、大学側が欲しい学生像に見合った方を、自由に合否付けてもいいんじゃないかという気持ちさえするのですが、私立ならまだしも国公立で不透明な採点基準で合否をつけるわけにはいかないよな、という気もしています。

ぶっさん
ぶっさん

というわけで、何にせよ試験というあり方はなかなか変えづらいのですが、こうなると、試験対策は「短い時間で」「効率的に」得点できるスキルがあればいいということになります。

最近、資格試験でも過去問データをAIに分析させて試験問題を予測させるプログラムが話題になっていますが、大学受験においてもこういったプログラムの人気は高まると考えられます。

もし、文部科学省が高大接続改革で掲げた通りに、多角的・総合的に評価される選抜試験を実施するなら、AIがビッグデータを利用して導く仮問題では資格試験ほど一致率の高い問題予想はできないとは思いますが、カリキュラムと社会情勢からある程度の傾向が読めるのであれば、問題を予想することはできるようになるかもしれません。

理解せずに答えを出したい

人間は、やっぱり少しでもラクがしたいのと、自分で考える力が弱いほど、こういったテクニックに頼った勉強になりがちです。

特に、これからの世代は「文章が読めない」割合が高く、検索すれば答えが出るという安易な勉強に慣れている子供は多くなると考えられます。つまり、文科省の理想とは逆行する「受験プログラム履修者的受験生」はかなり増えると考えられます。

しかし少子化なので大学側としては少しでも優秀な(あるいは優秀ではなくても)学生を確保したいところ。一部の優秀な生徒はこれまで以上に飛躍的に学習成果を掴める一方で、学習力の分断は苛烈しそうです。

とにかく、需要はあるので、AI予想問題は売れます。受講者も増えます。とりあえず点数は上がるので、親としてもこういった勉強方法を取り入れるフローができるとします。

すると、結局社会のニーズに合わせて、ある程度の学生数を確保するために、選抜試験も形を変えていきます。

こうなると、「AIの予想する問題」と、「AIが予想する問題を予想して問題を作成するAI」のいたちごっこが始まり、人間はこのAIの指示通りに勉強するだけの存在になりかねません。

さて、ここまでは私のただの妄想なのですが、言いたいことは「結局、受験勉強の価値は変わるよ」ということです。

きつね
きつね

同世代内で戦えば良かったこれまでの時代とは違い、実績評価となると常に新しい世代とも競争することになります。「読めない」は優先課題として学習内容が変化すれば、「読めない世代」は情報処理分野においては圧倒的に不利になりますね。

ぶっさん
ぶっさん

一度学校を卒業してしまうと、自分の弱みを矯正するのはなかなか難しいところ。自分たちの強みを発見することも大事な作業と言えそうだね。

主体性とアクティブラーニング

文科省も学力は「主体的に学ぶもの」であると定めていますし、実際に今は「アクティブラーニング」を積極的に取り入れる教育が高く評価されるようになりました。しかし、同時に主体的に学ぶための基礎力がないまま放置されている生徒たちも少なくない数で存在しています。

ぶっさん
ぶっさん

オンラインでの授業も今後は増えると考えると、主体性に加えて自主性・自律性も重要視されます。言い換えると「勉強しなくてもいい環境下で、自分を勉強に向かわせる力」も大事ということです。

きつね
きつね

「コロナ禍」で学校行けない=勉強できない、が明白になったのはいい発見でしたね。ほとんどの生徒にとって、勉強は学校でやるもので、自主的に学習に向かっていける子はほんのひと握り。

ぶっさん
ぶっさん

ただ、厳しい言い方をすれば、社会が必要とするのも「ひと握り」のできる子だけ、残りは需要・供給に合わせて拾ったり捨てたりできる代替性のある人材であることが見せつけられた事例でしたね。

自主性は自主的に育たない

この自主性・自律性を教えることができるのは、本来家庭にいるべき親の仕事なのですが、この親がそもそも「自主的・自律して勉強できない」のですから、本題に戻って、親がこんなだけど子供は勉強してねという理論をしっかりと確立させる必要があるのです。

長々と受験勉強の話をしましたが、我々の知る受験勉強とは違うものが、子供たちの将来には待ち構えています。特に、ここから10年間は大きな変革が待ち構えています。親の予想ができる範疇を超えたものです。

ぶっさん
ぶっさん

つまり、子供は自分で勉強していないと親にも想像つかない・対応できない世の中になるということです。だから、基礎力を培うためにも、「本当の勉強」をしていく必要があるのです。

受験トレーニングと「勉強」を差別化する

新しく書き下ろしますが、結局、「受験勉強」じゃなくて「知識」として定着させる勉強に昇華させるにはどうしたらいいのか、という改善策をまとめていきます。

暗記から脱却する

まず、暗記に頼るのはもうやめましょう。暗記さえすれば解けるテストのシステムが悪いのですが、なんだったら覚えた知識は一度忘れた方が脳の処理は早くなります。

暗記術などのテクニックは覚えておいて損はありませんが、一番大事なのは、頭の中の引き出しにしまて付箋をつけておくこと。具体的に言えば、「どこかにしまったよな」という引っ掛かりさえあれば覚える必要はなく、再び調べればいい話です。

暗記しない勉強を取り入れる

この辺りはまだ私も勉強中なので、まとめてから更新します。

英単語は文脈や語源と関連づける

少し受験テクニックに近いところもありますが、英単語、私は全く覚えられないんですよね。「思い出すきっかけを増やしておく」ことと、「意味を類推する力」を身につけておくと、英単語でつまずくということは減ると思います。

年号は覚えない

歴史の勉強で暗号が問われることは今後減ってくると思います。年号を覚えておくと時系列に並べ替える時に便利ではありますが、歴史は物語で覚えるのが基本です。史実には必ず前後関係があり、テストなどで問われるのも、「なぜこの歴史になったのか」という部分。

テストをする都合、簡易に理解度をチェックするために年号のような問題が出されることもありますが、基本的には史実同士の因果関係や、人物像や文化的背景などの知識を問うものです。この全体像を俯瞰できるようなMAPを作る作業が、一番大事だったりします。

知識をつなげていく

ただ、勉強の際に「暗記」はどうしても必要になります。英単語だって、何も知らない状態からなら一つずつ丁寧に覚えていく必要があります。

興味があることで負けない

さっと書き足しているだけなので、フリーテーマでだらだら書いていますが、子供が自発的に勉強するには、やはり「自分の好きなこと」を持つべきです。

誰にも負けない、というと勝負でもするのか、という話になりそうですが、「このテーマなら3時間くらい喋れる」というものを持っておくのは強みです。

誰かと話すときは、「自分が何者か」を示すこと

胸襟を開示する、と言っても良さそうですが、とにかく、まず話すときは自分がどんな人間であるかを見てもらった方が良かったりします。私も含めて、日本人はこれが苦手。逆に、自分を開示できる人は、やはりコミュニケーションで一歩リードできるし、信頼も厚くなります。

最初から共通の話題は見つからないものですが、日本人同士で話し合うばかりじゃなくなるのが、これからの子供達の時代で、気後れしている内に会話のタイミングを逃してしまうかもしれません。

「自分の好きなこと」を話すタイミングはかなり多く存在します。グループディスカッションなどでも、アイスブレーク(緊張をほぐす前座みたいなもの)の際に自己紹介しますが、ネタとして「好きなこと」を放り込んでおくと、興味を持ってくれる方に引っ掛かりを与えることができます。

「好き」を勉強に変える

好きなことを勉強にできたら、勉強は苦痛ではなくなります。モチベーションの問題もありますが、受験勉強では特に「細切れの情報」をただただ覚えていくことがつらかったりします。

「好き」なことは、既存知識が豊富にあります。だから、好きなことの新しい知識を見ると、「新しいコレクションが見つかった」感覚に近く、つまり嬉しい体験になります。

受験勉強が億劫に感じるのは、記憶の整理が大変だからです。本棚を作る際に、毎回違うカテゴリの本をバラバラに渡されて、あっちこっちに片付けをしていくのはストレスです。そして、大概、面白くなってくる手前くらいで、別の勉強をする必要が出てきて、苦痛は延々と続くのです。

好きな教科・単元を見つける

受験的なことで言えば、好きな教科、面白い単元など、まずは小さい範囲のものからしっかりと調べて整理していくことが重要だと言えます。よく、推しの歴史上の人物がいればとっつきやすいと言いますが、知識の軸のようなものがあると、関連づけて知識が膨らんでいくのでおすすめです。

テーマで議論する

こちらもまとめ中。方向性だけ書いておきます。

ディベートとディスカッション

日本ではあまり授業で取り上げられない「ディベート」や「ディスカッション」の授業方式。近年、アクティブラーニングなどで「グループディスカッション」などに着手されているようなので、今後の授業風景は一変しそうです。

ディベートとディスカッションの違い

ざっくり言えば、ディベートは「あるテーマに対しての意見の賛否を、それぞれの立場で主張する」こと。ディスカッションは「複数人での意見の交換・主張」です。

どんな効果があるのか?

ディベートもディスカッションも、事前準備が大事です。自分の意見を補強する資料を集めがちですが、大切なことは「参加者・反対者が何を言うか」を予測して反対意見についても調べることです。まずは、相手の立場を知ることが大切と言えます。

議論を進める際にも、感情的にならずに相手の意見をしっかりと聞く、という練習もできます。日本の討論番組は意図的に対立させて盛り上げようとしていますが、対立はディスカッションやディベートの性質上あって然るべきですが、別に感情的に相手を罵倒する必要はありません。

最後に、自分の意見の根拠となるものを作る工程です。意見を戦わせる時、まずは自分の価値観による立場を決めます。ただ、この価値観に縛られると「主観的な情報」のやりとりになってしまいます。大事なことは、この主観的な情報=意見に客観性を持たせられるかどうか、ということ。

我々看護師は、「医学的なエビデンス」に基づいてケアを行います。客観的に正しいと証明されたことでなければ他人の命の責任を持って医療を提供できないからです。ただ、看護師の不思議なところは、患者個人の価値観にも寄り添う必要があって、医学的に正しくなくても本人のQOLが高まることであればお手伝いする場合もあります。

実際、社会の中で生きていくためには、大勢の価値観との共存が必要になります。自分の意見を押し殺す必要はありませんが、相手の意見を押しつぶすこともあってはなりません。

ディスカッションやディベートは、相手を尊重しながらも、自分の価値観を持ち続けるために、自分の意見に客観性を持たせて相手と共生する道を模索する作業だと言えます。

相手の立場で意見を言う

日本人がディスカッション慣れしていない弊害として、「自分の意見を否定」されることにあまりにも強い拒否反応を示すこと、そして「対立する意見を受け入れられない」ことがあると思います。

ディスカッション慣れしている諸外国でも、意見が対立することもあれば相手の意見を受け入れられないと言う事態も当然あります。ただ、日本に関しては際立って「意見はあえて言わない」ことが多く、議論が発生しないのが良いことのような価値観はあると思います。

私もどちらかといえばナイーブなので、意見なんか言いたくないし、誰かに否定されるのは避けたいのですが、こんなウェブでの執筆のような仕事してますし、否定意見が届くことは(滅多にはないのですが)受け入れる必要があります。

ぶっさん
ぶっさん

私たちの時でも、反対や賛成の立場で議論するような授業はあったような気がしますが、せいぜい一回か二回くらいだったかと。

大事なことは、自分の価値観とは離れて「反対の立場でも意見できる」練習をすること。意見を言うことは「相手を否定」しているわけではありません。ただ、SNSなどを見ていても、一つの発言が「相手の人格全て」を表しているかのように取り扱って、何か一つ間違いがあると徹底的に叩くような風潮は健全ではありません。

きつね
きつね

意見は流動的なものでいいし、反対の意見からいいところをとって、大多数の人が納得できるような解決策を導くのがディスカッションの目的だと思います。

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